- 志向塾~農業体験&家族例会 2009年8月24日 Filed under: 日記
8月22日(土)異業種勉強会 志向塾で農業体験に参加してきました。
家族で農業を体験するということで、南幌町にある有限会社野楽(やがく)さんにお邪魔し、今年の農作物の現場、状況の説明を受け、また多くの生き物、とんぼ、蛙、馬、くわがた等とふれあうことができました。
今年は、やはり天候不良が続いたせいで、作物の育ちが約10日程度遅れているとのこと。
とうもろこしなどは、昨年と比べ、ちゃんと立っているものは少なく、数日前の雨と風で倒れてしまっているのがほとんどでした。お米についても、水田から水を抜くタイミングは10日ほど遅れているとのこと。
今年は農作物も非常に厳しい状況で、育てている。本当に毎年違う状況にあることをひしひしと感じました。
しかし、子供達は大喜びで、生き物を触ったり、とうもろこし畑で、収穫したものをボリボリ食べさせていただくことができとても親と子供で非常に思い出に残る1日になりました。現状毎日いただいている農作物に対しての感謝の気持ち。そして、ありがたくいただくことを子供と一緒に学べたことは非常にうれしく思います。

北海道ならではの勉強会になりました。
今回も多くの方のおかげで、今回2年目の農業体験企画・家族例会が開催されたことにとてもうれしく思います。
沢山のご協力、幹事の皆様本当に素晴らしい例会をありがとうございました。
- お墓参り 2009年8月14日 Filed under: 日記
今日8月13日~15日はお盆ですので、夏休みとして弊社お休みをいただいております。
ご安心ください。サーバ管理・緊急の電話のサポート窓口は稼動しています。
本当にお疲れ様っ!私は、毎年お盆時期は、先祖のお墓参りに行くのですが、今年も札幌・白老・岩見沢とお墓参りに行く予定です。
私は、昔から祖父や祖母から先祖のことを聞く機会が多かったせいか、また長男だったこともあるのか。毎年、小さい時からお墓は将来は、僕が守っていくものなのだと考えています。
だから、今でもなぜかお墓参りは、できるだけ欠かさず行っています。
そして、自分の子供も必ず連れていってお墓参りが大切なことを伝えたいと思うのです。小学生とか中学生のころは、行かないこともありました。
ちょっとお墓に対して怖いと感じることもあったからです。おばけですか・・・幽霊ですか・・・でも最近は、大好きな人はおばけでも幽霊でも出てきてくれるなら、出てきて欲しいと思うぐらい怖さはなくなりました。数年前に友人が、心臓病で突然亡くなりましたが、彼がもし出てきてくれるなら、おどかしたりしないでくれれば、幽霊でもおばけでも、普通にまた話したいと思います。
親しい仲だと怖くなるのかもしれませんね。
だから、年に1回亡くなった人のことを考える時期。そしてご先祖様、先代のことを考え、今年も元気で健康でお墓参りが家族でできたことに感謝を報告しに行くのが大事な気がするのです。
日本だけなのかなぁ~こういう風潮があるのは?どうなのか私は知りませんが、とても良いことだと思います。
先祖のこと、そして大切な友人のことを思えば、歴史上その人ががんばって生きてくれていなければ、自分もいなかった・・・そんな必然も感じるのです。
特に祖父の時代、そのまた先代の時代は、食料難、戦争、災害、今はもうない悩みもきっと多かったと思うのです。
最近でも政治、経済といろんな問題がありますが、昔よりきっと生死を問題にすることはきっと少ないのだろうと思います。そう考えると、生死の問題までが悩みとしてあった時代とはどんな時代だったのかとまたふと、今日第1回目のお墓参りに言ってみて少し考えました。
そのころの人から比べると、今の悩みはきっと贅沢な悩みなのでしょう。
でも、そのころの人が思い描いていた本当に理想の世界なのでしょうか?食べ物に困らず、でも悩みのない人はいないというほど、いろんなことに日々悩んでいる人が沢山います。でもきっと理想を唱える人、考える人があったから、多少歪んだにせよ今があるのは事実だと思うのです。
でも、自殺が年々増えていたり、精神的に病気になる人も沢山います。
情報化社会になり、情報の流通が早くなり人の決済スピードや処理能力はより速い速度を求められてきているともいえるのではないでしょうか。情報化社会はまだまだエスカレートしていきます。行く末はどこまでエスカレートするのか、私はこれからの情報化社会の行く末を可能な限り見て生きたいと思います。
そして、倫理・道徳的なことが問題になっていますが、それを間違った方向に行かないように考えて寄与していきたいと考えます。古きよきもの、新しく変わっていくもの・・・・お墓参りから話がそれました。
いずれにしても、また明日からご先祖様にご挨拶に行ってきます。
今自分があることへの感謝。今年家族と一緒に健康でお墓に行けることに感謝。
親戚と毎年この時期にあっていろんな話しができることに感謝。今年もそして来年も、家族がそして会社のスタッフが、友人がみんな健康でいれることを願い。またそんな理想がいつまでも続くことではないことも理解したうえで、それでもみんながいつまでも健康でいれることを願い。先代に感謝の言葉が少しでも伝わるように、今年もお参りに行ってきます。
- 富良野にいってきました! 2009年8月7日 Filed under: 日記
商工会議所の会合で富良野の研修にいってきました。
富良野には何度か行ったことがあったのですが、オンシーズンに行ったのははじめてのことで、景色の良さに感激しました。

今まで富良野に行く時期というのは、いつもシーズンオフ。人ごみが多く、常に渋滞しているというイメージがあり、今まで犬猿してきました。
しかし、今回は朝6時50分集合で、豊南パワーフロンティアグループという仲間でのバスツアーとのことでしたので参加して参りました。朝早かったのもあるからでしょうか。比較的スムーズで、まったく渋滞はない状況で、順調に2時間半程度でしょうか、富良野に到着です。
また最高の天気にも恵まれ、素晴らしい環境でした。

ラベンダーは少ししかなく、ほぼもう既に終わっておりましたが、上記のように多少は見れました。なにより、花畑とても綺麗で丘を見て、そして花を見て・・・感激しました。

また、チーズ工房にも行ったのですが、非常に面白い!いや・・・とてもめずらしい体験できる素晴らしいものを見つけました!
これはどんなことできるのだろうと思い・・・そしてふと試してみたくなり・・・100円玉を入れました。
入れてみたところ・・・体験できるようです。乳搾り・・・でも・・・やっているうちに・・・なんだかちょっと寂しくなるような代物でした・・・座ってひたすら1分間できるようなのですが、出るのは水・・・
よくわからない勢いで・・・ついつい体験してみたくなり触ってみましたが・・・これ・・・残念ながら周囲からの目が、かなり恥ずかしいっす(笑)ご覧ください・・・これです。



子供と一緒にやったりすればまだ良いのかなぁ~とふと頭をよぎりましたが・・・とき既に遅し・・・
最後まで出し切ることはできず、周りの目に耐えられなくなり・・・途中でリタイアしました(笑)話は一転いたしますが、企画していただいた商工会議所の皆様方、また最初から最後までバスを運転していただいた、桂造園の秋葉社長。本当にありがとうございました。
本当に有意義な楽しい時間を過ごさせていただくことができました。
この時期の富良野の景色は素晴らしい!素晴らしい思い出ができました。
今度はぜひオンシーズンに家族でいきたいと思いました。
- 喜ばれることとは? 2009年7月30日 Filed under: 日記
突然ですが・・・
変えてはいけないもの、変わらなくてはならないもの・・・その判断は難しい。
私にとっては、「人に喜ばれることをする。楽しいと思ってもらえることをする。」これ一言でいうなら私の「変わってはいけないもの」なのです。
私は生きていくうえで、とても大事に思っていることなのですが、なかなか全ての人に喜んでもらうことは難しいと感じることがあります。
でもできるだけ、関係する全ての人に喜んでいただける人になりたい。そう思うのです。
私にとって大切な人、その人の個性によって、考え方もまったく違い、その人が喜んでもらえるものが私のできることであることの可能性は非常に低いと最近思うことが多くなりました。それでも、何ができるか考え、少しでもお役に立てることで喜んでもらえることを・・・とは思っていますがそれがなかなか難しい。
人は私生活では、誰しも大切な人に喜んでもらいたい、そして楽しんでもらいたいという気持ちはあると思うのです。
そしてそこから生まれる行動が出た人というのは、非常に素晴らしい行動になると思うのです。
それっていのは、はたから見ていても、とても美しい行動にみえる、素敵なストーリーになるのではないかと思うのです。もし行き違いになったとしても・・・
ただ、これ自分の人生ということなら、ひとりひとりご理解いただきやすく、わかっていただることなのですが、なんだか仕事となると話が違う人が多いように感じるは、気のせいでしょうか・・・
自分の人生の経営者は自分であることの自覚。私はそれがひとりひとりが、持つことがとても重要であると思うのです。
(これもある人の言葉をお借りしました。)人に喜ばれること、この人にこんなことしたら喜んでもらえるかなぁ~と考えて実行すること・・・これは人によって、必要なタイミングも違えば、必要となることも違ったりするのです。
ある本に書いてあったことで、印象に残っていることがあります。
はたらくとは「はた」を楽にすることであり、反義語は「はた」迷惑であると・・・生きることで考えるならば、自分の関連する人全ての人にできる限り喜んでもらえることが私はとても大切だと思うし自然なことなのかもしれないと思うのですが・・・。そう考えると・・・考え方の根底に人に喜んでもらえることをしていこうという意思があった上で、私は仕事だからといって、例外ではなく、喜んでもらえることができるのか・・・そう、考えることが自然だと思いますがどうでしょうか
当然喜んでくれることをはずしてしまったり、ありがた迷惑になってしまったり、余計なお世話になってしまうこともあります。
しかし、そうなったには何か反省があるはずです。でも失敗しても1つ経験になります。情報収集に問題があったのか、それともタイミングが悪かったのか、それとも読み間違えたのか・・・いずれにしても喜んでもらえることというのは、人によって違うので、そんな簡単ではありません。
ただ、そうなると第1に必要なことは情報収集できる能力とかなのでしょうか・・・5感で感じる・・・それは人の話が聴けること・・・になるのかもしれません。その上でどういうことで喜んでもらえるかを考える想像する能力というのもあるでしょう。そして、一番大事なのが、行動する能力。考えても動けない人いっぱいいます!とにかく行動することが今重要かもしれません。この3つなのではないでしょうか。
喜んでもらえることっていうのは、多種多様なので、失敗もしながら、いっぱい経験しないとなかなかわからないものかもしれません。そう、ふと思いました。うれしいと思われることをしたい。というのは、きっと自分がうれしいことをされた経験がある時に、感動する出来事があったときに、芽生えることなのかもしれません。
してもらったことをしてあげるのは、世の中のとても良い循環ですが・・・。それが循環する理想に、自分の周りの人が感じてもらえる環境になったらうれしいなと思うのです。
ということは、まずはいろんな人に「うれしい体験・楽しい体験」をいっぱい体験していただくこと・・・もっというならその感受性を自分の中で、豊かに持ってもらえること・・・私にとってはそのための経験をつむことが今楽しくて仕方ありません。
でもふと思いました・・・なんでいきなりこんな話なのかって?あるきっかけで・・・最近ある人のお話をお聞きして、私の中で考えていたものをなんか書きたくなったんです。この「喜ばれることとは?」を、考えるチャンスをいただきました。
ありがとうございます!