- 新年 初詣 札幌・東京 2026年1月6日 Filed under: お知らせ、会社行事、採用関連、日記
新年 あけましておめでとうございます。
インターパーク 2026年も1月6日(火)より通常営業を開始いたしました。
毎年、年始は営業日前に、全社で初詣に行っております。札幌は、北海道神宮、東京は、明治神宮。にこれからの1年の商売繁盛の祈願です。
会社はじめたときからやっていることではありますが札幌30名以上、東京20名以上で参拝はなかなか団体行動が難しいです。
あと何年みんで初詣をできるかな?そんなことを考えながら、でも年末年始どう過ごしたか、そんな話を神社までの道でいろんなメンバーとしました。
みんなの、いろんな過ごし方。家から一歩も出ずに、いろいろ話ができたのが嬉しかったです。
2026年スタートです。インターパークは、スタッフ一同、「結果にこだわり」今年大きく飛躍する1年にしていきます!
本年も何卒、ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
- 2026年 新年ご挨拶 2026年1月1日 Filed under: お知らせ、会社行事、日記
- 新年あけましておめでとうございます。
昨年も大変お世話になりました。 いつもひとかたならぬご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。 昨年の歩み
おかげさまで昨年も、
私たちは様々な新たな取り組みにチャレンジすることができました 。大分県津久見高等学校でのAI授業開催、 日本ノーコード大賞での受賞、そして北海道旭川市とのAI× IVR共同開発など、多くの実りある活動を展開できました。 特に印象深いのは、弊社で提供するサスケLEAD、
SUBLINE、 サスケWORKSのすべてのサービスにAIを実装できたことです 。これは単なる機能追加ではなく、 お客様の業務効率化に直結する大きな進歩だったと感じています。 変化する社会情勢
今、日本は大きな転換点にあります。
女性として初めて高市首相が誕生し、内閣支持率が70% を超える国民からの期待を背負った政治体制が始まりました。 一方で、 アメリカや中国といった大国との関係には依然として課題が残り、 世界各地で続く戦争という現実も私たちに重い課題を突きつけてい ます。 こうした複雑な国際情勢の中で、企業として何ができるか、
何をすべきかを日々考えています。 デジタル革命の加速
IT・デジタル業界に目を向けると、
変化のスピードはさらに加速しています。AIが日常に溶け込み、 インターネット検索エンジン時代の終焉が見え始めています。 デジタル技術があらゆる人にとって身近なものになり、 時代は確実に変わっています。 AIの普及により、この変化のスピードは年々早まっています。
私たちは、この波に乗り遅れることなく、 むしろ先頭に立って新しい価値を創造していく責任があると考えて います。 2026年の決意
今年、私たちが特に注力したいのは「シンプル化」です。
複雑化し、難しくなりすぎたデジタル技術を、より簡単に、 より使いやすくすることです。 これまで多くのお客様から、
デジタル化や効率化についての様々な課題やお悩みを伺ってきまし た。そのパターンを分析し、 蓄積したナレッジやノウハウをサービス化していくことで、 より多くの方のお役に立てると信じています。 新たなステージへ
私たちは今年、システム開発という枠を超えて、
社会課題の解決策とその普及推進の仕組みを提供できる企業へとシ フトしていきます。これは決して小さな変化ではありません。 ビジネスシーンでも日常生活でも、
情報共有やコミュニケーションをもっと簡単に、 もっとシンプルにできる社会を創造したい。そんな思いが、 私たちの行動指針となっています。 AIとともに歩む未来
2025年はAIエージェント元年と呼ばれました。
今年2026年は、AIがさまざまな分野により深く浸透し、 本当の意味でのDX(デジタルトランスフォーメーション) が各業種で急速に進む1年になると確信しています。 私たちは、日常やビジネスシーンで、
まるで電気や水道のようなインフラとして使っていただけるプラッ トフォーム提供企業を目指します。 それは決して派手な流行やトレンドを追うことではありません。 安定的に、末長く使い続けていただくことで、 様々な価値を付加していける基盤となる、 データのインフラ的サービス提供こそが私たちの使命だと考えてい ます。 お客様とともに
2026年も、
私たちは新たなチャレンジに積極的に取り組んでまいります。 そして何より、お客様に確実な成果を体験していただけるよう「 結果にこだわる」をテーマに、 社員一同全力で邁進してまいります。 本年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
株式会社インターパーク
代表取締役CEO 舩越裕勝
- 12月 お誕生日会 札幌 2025年12月20日 Filed under: お知らせ、会社行事、日記
12月 お誕生日会 札幌。お誕生日は星くんでした。
1年の抱負として、「プライベートにも仕事も充実した年にしたいです!」と話してくれた星くん。目がキラキラしてました。
お誕生日おめでとうございます!!
- 練習をサボった日の罪悪感も、完走の喜びも 宮崎青島太平洋マラソン 42.195km 2025年12月15日 Filed under: 日記
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2024年12月14日(日)、宮崎県で開催された「青島太平洋マラソン大会(通称:AOTAI)」に参加してきました。参加人数は8,000人以上という規模の大会で、12月のマラソン大会への参加は那覇マラソン以来となります。今年はトライアスロン2回、フルマラソン1回に参加してきましたが、今回が4回目の大会チャレンジとなりました。
今回この大会に参加することになったきっかけは、私が所属する経営者団体EOの「EOマラソン部(MyEO)」の仲間からのお誘いでした。普段、EO基礎スキー部で交流させていただいている株式会社Fixstarsの三木さんから「この大会に一緒に出よう」と声をかけていただいたことがご縁となりました。
正直に言うと、フルマラソンはいつも気が重いのです。大会の約1か月前から意識し始め、トレーニングも調整しなければなりません。「ゴールできるように全集中しなければ」というプレッシャーが常にかかります。
1か月前くらいから調整を始めた今回、私に「練習やりたくない病」が襲いかかりました。11月から12月にかけて気温が急激に下がる時期、どうしても朝走りたくない日が出てきます。そんな日に自分に負けると、一日中気分が沈んでしまいます。こうした日が何回か続くと、自己嫌悪との闘いが始まります。自分で自分をコントロールできない。やりたくない自分との闘い。勝つ日と負ける日と。そんな葛藤を抱えながら、マラソン大会が近づいてきます。
大会1週間前くらいになると、ようやく腹が決まりました。ペース調整や日々のトレーニング調整もなんとなくできるようになります。身体の重さは、サボった時期の分が少しいつもより重いものの、コンディションは悪くありませんでした。
前回8月の北海道マラソンでは、エネルギー補給をせずに走った結果、ゴールした瞬間にクラクラして栄養不足、スタミナ不足を痛感しました。ゼリーを持っていたのですが、あまり美味しくないので、いつの間にか飲まなくなっていたのです。今回はその反省を活かし、しっかりゼリーを準備しました。エイドで出たものもできるだけ食べて飲んで、栄養不足にならないよう走ることを決めていました。また、寒い時期のフルマラソンということもあり、「42.195km 歩かない」を自分に誓いました。
参加前日、宮崎で前夜祭を開催しました。EOメンバーを中心に総勢15名ほどが集まりましたが、翌日の大会を控えていることもあり、宴会という雰囲気ではまったくありませんでした。不思議な感じの前夜祭です。やはり次の日にフルマラソンを走るとなると、みんな心境が不安で、どこかぎこちない雰囲気でした。でも、仲間がいるというのはとても心強いものです。自分だけが不安で心配なわけじゃないと思えるだけで、なんとなく「よし、やってやる」という気持ちになりました。
今回、キャプテンである石井さんがユニフォームを作ってくれました。ユニフォームは一体感を生み出します。個人競技であるマラソンですが、気持ちの上でつながって、一緒に挑戦する仲間がいると思えることは大きな力になります。今年の夏、北海道マラソンでもグラマラブでユニフォームを着けて走ったのが初めてでしたが、チームで参加するのは本当に良いものだと実感しました。
前夜祭で、みんなで一言ずつ目標を言いました。私は北海道マラソンが4時間59分でギリギリ5時間以内だったこともあり、「5時間を切りたい」と話しました。ただ、正直なところ、私の中には「完走」という謙虚な目標も持っていました。これを絶対に成し遂げたい、と。前日はすぐに解散し、22時には布団に入りました。
当日の朝、会場である青島のひなたサンマリンスタジアム宮崎で集合しました。みんなで集合写真を撮影し、いよいよスタートです。緊張感もMAXに達します。驚いたのは、スタートの合図です。通常は「よーい、バーン」なのですが、この大会では爆竹のようなものが「バンバンバンバババ、バババ、バババ、バン」とかなり長い時間続くのです。少しテンション上がりました。
今回の目標は「5時間より早く」「歩かず」「栄養は十分に」です。そのため、キロ6分30秒のペースで走る計画を立てました。スタート直後は周囲のランナーのペースが速く、引っ張られて少しペースが上がってしまいがちです。しかし、周囲に抜かされ気味でも焦らず、自分のペースを守ります。この最初のペース作りに失敗すると、後々どこまでもきつくなるので、慎重に慎重に、その日の自分のペースを作っていきます。だいたい5kmから10kmまでの間で、心拍や体の調子をつかみながら自分のペースを固めていきます。

完走の為の自分の鉄則、35kmまでは作戦、そこからは覚悟
青島ひなたマリンスタジアム外周からスタートし、公園を出て自動車専用道路を登ります。宮崎空港を右手に見ながら、宮崎市街地まで走ります。周りは本当にのどかな田畑が広がる宮崎の平野です。自動車専用道路は高台になっているので、景色が一望できます。宮崎市までは約15kmでしょうか。そのあと宮崎市内中心地を約10km走ります。本当に多くの人が応援してくれていて、めちゃくちゃ元気をもらいました。
ペースも順調で、宮崎市内に入る頃には安定して走れるようになっていました。毎回そうなのですが、20kmくらいで「今回は調子いいかも」という感覚がやってきます。この「いい感じ」という感覚は要注意です。ここで気を許すと大変なことになります。前回の北海道マラソンでも同じ感覚がありましたが、そこでスピードを上げたりすると後々、めちゃくちゃきつくなります。
「危ない、危ない」と思いながら、ペースが少し上がってしまいそうになるのですが、できるだけ抑え気味で走ります。ついついキロ6分を切るところまでいってしまいそうになる自分を抑え、キロ6分30秒を守って走りました。宮崎市内をぐるぐる回っていると、行ったり来たり折り返しがいっぱいあります。知り合いがいないか探しながら走り、ユニフォームのおかげで何人かとスライドして走ることができました。
フルマラソンは、まず35kmまで行くことが私の中のゴールです。とにかく、35kmまではペースを守っていく。そして毎回未知の世界である35km以降は、気合いと根性でゴールする。これが私のフルマラソン攻略の極意と心得です。そんな適当な作戦でいいのかという話ですが、それで今まで毎回ゴールできているので、案外悪くないのかもしれません。
宮崎市街を出ると、今度は帰り道です。宮崎ひなたマリンスタジアムに向かって、また自動車専用道路を走ります。来る時に見た宮崎空港出口付近が、ちょうど25km地点だったように思います。スタジアムが見えると、めちゃくちゃテンション上がります。「おおぉ、戻ってこれた。やったー」みたいな感じです。
宮崎ひなたマリンスタジアムの横まで戻ってきたとき、「あれ、おかしいな」と思いました。この時点で約32kmなんです。まだ私の極意目標の35kmにたどり着いていません。そう、ここからまだ10kmあるのです。「スタジアムまで戻ってきたんだけどなぁ」と思いながら、「そうか、この大会は青島マラソンだったな」と思い出します。
スタジアムを横目に、公園内を走り、さらに公園を出て青島方面へ走ります。公園を出ると、左手に海が広がります。トライアスロン仲間が「35km地点くらいからの海がパーッと開けるとテンション上がるんだよな」と言っていたのを思い出しました。これのことかと。めちゃくちゃきれいな景色なのですが、心にあまり余裕がなくなってくるのもこの頃です。35kmを自分自身のペースを守るゴールとしていることもあり、そこまできたくらいで、心が少し折れそうになります。
毎回、出る症状が違うので、対策がないことに最近気づきました。ある時は熱中症のような症状だったり、ある時は吐き気がするとか、またある時は全身がだるくて動きたくないとか。意識がもうろうとすることもありました。今回は、右膝と右足首に症状が来ました。足が無茶苦茶痛いのです。痛すぎて、びっこを引いて、しばらく走りました。
この頃、足はすでに両方とも悲鳴を上げている状態で、アドレナリンが出まくっているのに痛いということは、相当痛いということです。エイドで足を緩めて水を取ったら、もう走り出すのに、痛い足を無理やり力を入れて動かさないと、足が固まって動きません。足が痛いこともあって、スピードは一旦落としました。
そして、初めてフルマラソンを走ったときのことを思い出しました。走り方、フォームが悪いと、足首や膝、筋肉を痛めてしまうことがあると。その対策として走り方を勉強したのを思い出したのです。走るフォームを直してからは、しばらく関節も筋肉もそこまで痛くなることはなくなっていたのですが、それが久しぶりにまた来ました。
関節は無理すると走れなくなり、またそれをかばって走ると、別の部分を痛めてしまいます。でも、今回の作戦は正解でした。35kmまで来ていれば、かばって走っても走り切れる距離なのです。走り方のフォームを変えて、右足をかばった形でどう走ったら痛くないかを研究しながら走りました。間違えるとめちゃくちゃ痛くて、走っていられない状況にもなりましたが。
話は少し変わりますが、いつもマラソンを走っていて思うのは、私より明らかに年上で年配の方も多数走っていらっしゃって、本当にすごいなということです。「私はいくつまでチャレンジできるんだろう」と考えてしまいます。私の前に現れたおじいさんも、びっこを引いていました。もう今にも歩きそうな速度です。でも声をかけてくれたんです。「本当にこういうことになって、私にとって忘れられない思い出の大会になるなぁ。最後までお互い頑張ろうね」と。
「ありがとうございます。そうですね。頑張りましょう」そう返すのが精一杯でしたが、その一言をもらってからスピードを戻して、右足をかばって走れるようになりました。
足が痛いと言っている間も、海沿いは風が強く、折り返し地点までは追い風だったのですが、折り返し地点からは向かい風となりました。風に押されて止まりそうになります。風が強くて、「もしここで歩いたり、止まったり、心拍数が落ちたら、寒くて低体温症になってしまうのでは」と思って、ここはなんとしても風に負けないようにしなければと必死に走りました。
そんなドラマがあり、心も身体も限界に来そうな時、本当に地元のボランティアの学生のみんながハイタッチしてくれて、大きな声で応援してくれました。きっと高校生と中学生だったのかな。みんな、本当に笑顔で「もう少しです。頑張って」と応援してくれました。足は痛いし、風は冷たい。でも応援してくれる人たちがいる。「もう少しだ」限界に達しつつある自分を奮い立たせないといけない。それがだいたい40km地点くらいです。
あと2kmなのですが、この2kmが長いのです。「なんでマラソンは40kmじゃなくて42.195kmなのか」といつも思います。最後のこの中途半端な2kmがまじで辛いんです。でも40km走ってきましたからね。こんなところでリタイアしている場合じゃないんですよ。自分の持っている力を全力振り絞って、最後の2kmを走り切りました。

そしてゴール。今回のタイムは4時間40分でした。今回は、自分で決めた目標は達成できたと思います。自己ベストではありませんが、自分なりに頑張って完走できた大会でした。
ゴールしてみて、途中のエイドでバナナやチョコレート、持参したゼリーを摂取し、朝も走る前にゼリーで栄養チャージしていたこと、そして寒かったこともあり、終わってからのめまいや息切れ、体調不良はありませんでした。その代わり、足が痛い。右足の足首、膝、それをかばって走ったために、両太ももの筋肉、足の付け根までいろいろ痛い。ゴールして座ったら、しばらく足が動かない。曲げたら伸ばせない。そんな感じでした。
フルマラソンには毎回ドラマがあります。そのドラマはいつも、大会が始まる前から始まっています。私はいまだ走るのが苦手です。小学生の時も、中学生の時も、高校のマラソン大会も本当に嫌いで、サボっていました。その罰を受けて、今、人以上にあの時の罪の償いに走っているのかなと思ったこともあります。でも、最近少しずつ走ることの良さや意味が分かってきた気がします。言語化するのは難しいですが。
今回のドラマは、私にとって素晴らしいドラマでした。人との出会いも素晴らしかったし、自分の大会までの挫折感も、大会中の苦しさも、そして最後、目標を達成して完結できたストーリーも。何より残ったのは自己肯定感です。それは、ダメだった自分と向き合い、走っている途中で苦しさとも闘い、でも最後は自分に勝てたというか、決めたことを守って結果を出せたという心の充実感です。
フルマラソンは、毎回本当につらいんです。私にとっては毎回。35kmを超えた未知の世界で起きることは、毎回違います。でも、だからこそ、どんな困難があっても「結果にこだわる」ことができるかどうかが試されます。本当に小さなことかもしれませんが、自分との闘いとしてわかりやすい。覚悟と精神力、そして日々の練習を含めて、結果を出せるのかどうか。「何かは達成できた。だから、目標の達成はできる」それが日々の自己肯定感の源になっているんじゃないかと感じました。
もちろん、一人で成し遂げた結果ではありません。たくさんの方からの応援、そして一緒に走ることにチャレンジできる仲間、いろいろ協力してくれる人たちがいて、最後まで走れました。
今年、4回目の大会。フルマラソンは人生5回目。この1年を振り返ると、練習を含めて年間2,400km、月平均120km走りました。「俺、頑張ったな」そう思える瞬間、心に残るスペシャルな体験をさせてもらったなと思いました。お疲れ様でした。ありがとうございました。








